ひなみ大学(2017年1月~3月)

私たちは、日々、「言葉」を使って自分自身や他の人たちとのコミュニケーションを取っています。私たちの頭は、様々な「常識」で埋め尽くされており、それらを共有しているからこそ、私たちは円滑に社会生活を営むことができます。「言葉」や「常識」は私たちにとって必要不可欠なツールだということです。
ところが、私たちは、これらに縛られているとも感じます。「本当は、もっと違うものの見方や感じ方があるのではないか」という、もやもやとした感慨が折に触れて私たちの脳裏に浮かんでは消えていきます。そしてなんとなくこう感じるのです。「結局、私たち人間に分かることはごくわずかで、真理になど到達できるものではない」。
真理に到達することを「悟り」といいますが、禅の立場からは、これは天才にのみ許された事柄ではありません。効果的な方法で取り組み続けさえすれば、誰でもそこに向かって一歩ずつ近づくことができるものであり、そのための手段として古来用いられてきたのが、公案です。たとえば、このようなものがあります。

「両掌相打って音声あり、隻手に何の音声かある」(両手を合わせて打つと「パン」と音が響く。片手の場合はどんな音がするだろうか?)

常識的にいえば、「片手ならば音が出るはずがない」。これで終わりです。ところが、「常識」をいったんかっこに入れて、この問いに取り組み続けると、全く違う答えが、どこからともなくやって来たかのように、突然浮かんできます。その瞬間、ものの見え方がガラリと変わります。これが、禅の力です。
このシリーズでは、毎回ひとつの公案に取り組み、それを通して「悟り」の入り口を垣間見るという体験を共有します。頭を使って論理的に「思考」するだけではたどり着けない境地とは、いったい何なのか。常識を超えたときに見えてくるのは、どんな世界か。それは、私たちの日常や人生にどんな扉を開いてくれるのか。ぜひ、自分自身で確かめてください。

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